駒込に吉祥寺があって吉祥寺に吉祥寺がないのはなぜ?

駒込コラム

住みたい街ランキングで常に上位にいる吉祥寺。

ですが、「寺がないのに吉祥寺」というように、吉祥寺に「吉祥寺」というお寺はないんです。

住みたい街ランキングではランク外の我らが駒込ですが……吉祥寺ってお寺、駒込にありますよね!?!?

Googleマップでも「吉祥寺」と打つと武蔵野市の吉祥寺が最初に出てきてしまいますが、駒込の吉祥寺はとても大きく歴史もある素敵なお寺。

地図でいうとここ↓

今回は、なぜ吉祥寺に吉祥寺がなく、駒込に吉祥寺があるの?というギモンについて、自分なりに調べてみました。

駒込の「吉祥寺」が、武蔵野市の吉祥寺の由来になっている

結論から言うと、駒込の吉祥寺が、武蔵野市の吉祥寺の名前の由来になっています。

歩いても4時間以上かかる、17kmも離れているのに、なぜ?と思いますよね。

これは、振袖火事とも呼ばれる、「明暦の大火」が原因です。

もともと本郷元町(今の水道橋近く)にあった吉祥寺ですが、明暦の大火で門前町(お寺の近くにあった町)が焼失してしまいました。

※明暦の大火で「吉祥寺」は焼失を免れましたが、そのあとの火事で今の駒込に移転したそうです。

そこで、おうちをなくした住人たちを、幕府が現在の武蔵野市の吉祥寺に移住させました。こうしてもともと吉祥寺の近くに住んでいた人たちが新田開発をしましたが、愛着のある吉祥寺の名前をつけて、新しい場所を「吉祥寺」と名付けたのです。

編集部
編集部

おうちをなくして、遠くてなんもない原っぱ行けって言われて、頑張って村を一から作るなんて、すごすぎるなあ……

その後、吉祥寺は関東大震災でも多くの人が移り住んだ

そんなこんなで駒込の人たちが作った吉祥寺ですが、大正12年に起こった関東大震災のあとも、被災した人たちがこの地に移り住みました。
当時の吉祥寺はまだ自然豊かで土地も比較的安く、「住むにはちょうどいい」郊外として注目されるようになっていたのです。

震災後の東京は多くの地域が焼け野原になり、人々は安心して暮らせる場所を求めて、鉄道沿線や郊外に広がっていきました。
そのひとつがこの吉祥寺だったんですね。

このころから、住宅地としての開発が進み、昭和に入ると商店街や文化施設も整備され、少しずつ「住みたい街」として人気を集めるようになっていきます。

八百屋お七との関係性は?

駒込にある「吉祥寺」は、八百屋お七という物語の舞台にもなっています。

八百屋お七の物語のあらすじは以下の通り。

本郷にある八百屋さんに、美人で評判の「お七」という娘がいました。
ある日、火事でお七のお店が燃えてしまったため、建物を立て直すあいだ、吉祥寺で避難生活をすることになりました。
そこで、小姓(お寺で修行している男の子)と出会い、恋に落ちました。
新しいお店ができたため、二人は離れ離れに。
お七は、「もう一度火事になればあの人に会える!」と、おうちに放火。
でも、放火は江戸では極刑。
お七は捕まり、わずか16歳で火あぶりの刑に処されてしまいました。

何パターンもストーリーがあるようですが、あらすじはこんな感じです。

この話、現在の駒込の吉祥寺ではなく、避難先は本郷の「円乗寺」だったという説が有力です。

でも、江戸時代の作家・井原西鶴が書いた『好色五人女』で、お七の話を「吉祥寺で出会った」と脚色したことで、広く知れ渡るようになりました。

つまり、実際の歴史とはちょっと違うけれど、吉祥寺という名前は、恋と炎と命をかけた物語の舞台として、より印象深いものになっていったのです。

ちなみに、お七のお墓は今も現存していて、本駒込駅から徒歩5分ほどの場所にある「円乗寺(えんじょうじ)」にあります。

円乗寺は地図だとここです↓

火事だけにえんじょうじ……?(不謹慎だけどなんかつながりを感じてしまいました)

まとめ

  • 吉祥寺に吉祥寺というお寺はない
  • 駒込にある吉祥寺がもともとあって、火事で吉祥寺の前の町が焼けてしまった
  • おうちをなくした人たちが、幕府に言われて今の吉祥寺に移動する
  • 頑張って再建し、新しい街に「吉祥寺」と名付けた!
  • 八百屋お七の物語も、実は駒込エリアに関係している

「火事で人生が大きく動いた人たち」が多く登場するこのエリア。
昔の駒込の人たちが、今の「住みたいまち」を育てたと考えると、ランク外の駒込の私たちもなんだか鼻が高いです。笑

気になる方は、ぜひ駒込の「吉祥寺」と、お七のお墓「円乗寺」もお散歩してみてくださいね!

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